旧鶴川村のほぼ中央に位置する春日神社は、江戸幕府五代将軍綱吉の宝永4年(1707年)9月に、蔵福寺の法印頼盛によって社が建てられたといいます。
(当時は神仏混合だったため、春日神社を蔵福寺が管理しており、頼盛は春日神社を管理する寺僧でした。)
しかし春日神社はこの時初めて造られたのではなく、以前からこの地に祀られていたようです。平成10年に行われた土地区画整理で「春日神社北遺跡」の発掘調査で、古代時代から奈良・平安時代(7~11世紀)の村の後が確認されました。
この地は鶴見川と小野路川によって形成された低湿地で、稲作に適していた場所でもありました。土師器や須恵器、鎌などの鉄製品などが出土され、約400年にわたり集落が営まれており、古くから信仰の地であったことがうかがわれます。
市川家の家伝書市川系譜には、当時創生のころ、次のように記述されています。
「其山上エ天児屋根命ヲ祠リ、氏神ト称ス、今ノ春日神社是ナリ。」
また、平安後期、奥州を舞台とした前九年の役では、大将軍源頼義とその軍勢が
「木曽八幡別当所春日神社両社エ御参詣」云々とあり、春日神社の昔を偲ばせます。
春日神社の御祭神は、天児屋根命(あめのこやねのみこと)と比売神(ひめかみ)で、奈良の春日大社から御分身をいただいたものです。